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2006年8月23日

生き物を殺す

今朝ココで知ったamazonのコレ、画像が消された。
消すくらいなら最初から載せなきゃいいのにw
ちなみにまだ見ることは可能

さてさて、ちょっと遅い話題ですが、
日経新聞の気が触れたようです。
まずはコレを。

私はぬこ飼いで、ぬこ大好き人間で、
ぬこが世界を回していて人間はぬこの奴隷でしかない、
などと日頃冗談半分で言っているわけですが
そーいうの抜きにして。

獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。

愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるた めに喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。

サラブレッドという種類の馬がいる。競走馬だ。
彼らは血統を人間に組まれ、
「より速く」のみを追求された動物だ。
今現在、サラブレッドが野生に放たれたとして
生きてはいけない。
彼らは最早人間と共存するしかない種である。
愛玩動物もそれと同じと考える。
人間に管理されることにより
健康を保ち、寿命も長くなった。
野生動物の「生」とそうではなくなった動物の「生」を
混同してすることは果たして正しいのだろうか。

もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。

ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手 を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、 悪いとか、いえるものではない。

猫が人間の言葉を話せるならば
「不妊手術なんかされたくない。
 子を産んで育てたい」
と言うように思えてならないのだが如何か。
子を産んで育てられないことと、
子を産めないこと。
どちらの方が猫にとって悲しいことなのか。
このひとは「不妊手術も子殺しも同じ」という。
この感覚に人間としての生理が失われている気がしてならない。
現代日本人の数多には
「生き物を殺すことに対する生理的嫌悪感」
が備わっていると私は思っている。
このひとにとっても生き物を殺すのは「厭なこと」ではあるらしい。
でも「厭」さ加減に数多のひとと激しい乖離がある。

人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。 
私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。

自分のより納得できる道として
不妊手術を選択する飼い主が多い。
これは単に自分の手を汚すのが厭だからという
理由だけではないはずだ。
もしそれだけの理由であるのなら、
人間社会でも中絶せずに
産むだけ産んだ後に殺害ということが常になっているだろう。

243 名前:ろくでなし[sage] 投稿日:2006/08/20(日) 05:02:50 ID:f2JjxlM80
動物にとっての「生」とは、生まれてきたら
精一杯がんばって生きることではないか。
その本質的な生を、キチガイ女・坂東眞砂子の
都合で奪いとっていいものだろうか。

全面的に同意する。
「生」を考えているようでいて
最も「生」を軽んじているのはこのひとだ。

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